座禅にはまった理由
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絵:by沼様

座禅と聞くと古臭く・じじくさ〜いイメージが私にはありました。

また、座禅とはお坊さんがやる仕事!?みたいなものだと思ってきました。
では、何故、それを仕事として行うのか?
そこまで深く考えたこともなく、要するに興味がなかったのです。

そんな私が何故座禅を始めたのか!?
きっかけは、自立神経の改善を真剣に考えたことがきっかけでした。

当時、不規則な時間帯の仕事と、責任ある部署を担当していました。
私生活ではすぐには解決に至りそうにもない問題を抱え
心の休まる時間が取れませんでした。

眠る時は睡眠薬が必要で、病院に行っても眠れるように改善する手段はなく
それが気にかかり、ある日、主治医の先生に質問してみることにしました。

私:「先生、いつ睡眠薬がやめられるようになりますか」

ドクター:「それはわかりません。ただ、今のままだと、薬を飲んでも眠れなくなりますから、
そうなったら今よりキツイ薬に変えないといけなくなりますよ」

「・・・。(汗)」ショックでした。

自分の身体の管理は人任せにするのではなく、自分でしっかりしなくてはいけない。

それでいろいろな本を読みあさりました。

やってみて改善が実感されるものでなければ意味がない!

そこで始めたのが、不調和を起こしている張本人でもあり、
問題の原因でもある自分自身の観察をすることでした。

それが座禅への道に誘われるきっかけでした。

ただ、私の場合、いきなり足を組むことはしませんでした。
今となっては、それが長続きの要因な気がしています。

最初は背もたれのある椅子に座って目を閉じて15分間
そのままの姿勢を保つことをしていました。
1年間くらい、1日の生活の中のどこかに、椅子に座る時間を15分間とり続けました。
一見何でもない、見方によっては何もしない無駄と思える時間をとり続けることで
自分でも認識できるほどの改善があったのです。
心が安定をし、問題解決能力が増しました。
悩むことが少なくなったのです。

そんな自然の流れで、当然のように座禅に興味を持ち始め、
だんだん椅子に座っての黙想は卒業をし
足を組むようになり、時間の経過とともに本格的なものへと変化をしてゆきました。

自分のペースで、最も適した姿勢を探すのが、長続きのコツですね(^・^)

でも、それは普段の社会生活に置き換えても同じことが言えるような気がします。

瞑想とか座禅にもいろいろな方法がありますが
katuraが取り入れている方法はこちらです。
ここのセンターは、全てが善意=ボランティアで賄われ、運営されています。
2500年前から、足すこともなく、引くこともなく伝えられてきた方法です。
ご興味があれば、こちらの内容をよく読んで、理解されてから、向き不向きもありますので
どちらに相当するのか判断後、ご自分の責任でトライしてみてください(^・^)
katuraの座禅体験記
多分、誰もが経験しないことだと思うので、参考記述としてまとめてみました。
座禅に興味があるけど、踏み出せない人・それって怪しくないの?等と
思っておられる方々、参考までにお役に立てれば幸いです。

記憶が確かだと、20世紀の後半あたりから、「心の時代」とよく耳にするようになり
精神世界とか、スピリチュアルとか、ニューエイジとか言って
新しい価値観が出てきたりもしていますが、正直、どれにも私は興味がありません。
ただ、情報としては友人がそういった世界に精通している人であったり、
知り合う人がその世界で活躍をしている人だったりすることが多いので、
知識としては豊富かもしれませんけど・・・

座禅の世界に本格的に入ったのはこの出来事がきっかけでした。
(話せば長くなるので興味のある方は、リンク先でご確認ください。)
それ以前は、数年間を自己流で一日15分の時間を座禅にあててきました。
これは、日々の生活が煩雑なあまり、処理能力が追いつかず、
心の整理をするのに座禅が効果的という情報を知識で得たからです。
最初はすがるような思いで日々、その時間をとっていました。
数ヶ月もすると、日々の生活に改善が見られ、座禅を行わないとどうも調子が悪い・・・
といった認識になりました。

それと同時進行で、命の尊厳についてまともに向かいあわないといけない事情ができ
老若男女問わず、さまざまな人の生き様を見る機会に恵まれました。
人生の終末期を迎えた方とのコミュニケーションは特に深く考えさせられるものがあり
また、歴史を勉強していく中で、「人間性」について熟考する機会にも恵まれました。
そんな中でのこの出来事
ヒマラヤ山脈から病気を抱えたままの帰国。
回復後、理論や理屈・知識より、とことん自分と向き合ってみたくなりました。
そこで、この人なら確かな情報が得られるだろうと予測をして、
インドを旅行中に知り合った、某国・大使館の奥様に相談をしたところ
日本でも座禅に打ち込める施設があることを知りました。
その施設を利用するに当たっての条件で、10日間、施設から出ることが許されません。
座禅を身体で会得するために、最低限、必要な日数だということでした。
そして、10日間のうちの丸9日間は会話ができません。
他人と目を合わすことも、触れることも禁止です。
本を読むことも禁止。
朝は4時起床。
食事は動物性のものが一切ぬかれた菜食で、一日2食ということでした。
でも、その頃の私は、今の自分にはそんな過酷な条件はどうでもよく思えたので
即、そちらの施設に連絡をとってみました。
まとめて休暇が取れるお正月にいざ決行!
そう思って連絡したものの、考えることは皆同じ、
お正月はキャンセル待ちだということ、私の前に10人以上もの
キャンセル待ちの予約者がいると言われました。
無理を承知で、自分もキャンセル待ちに加えてもらったところ、
運よく受け入れてもらえることに・・・(^_^)v

ところが、その施設を勧めてくれた奥さんが、私の施設行きを反対しだしました。
                   何故!?
理由は、実は自分はそこの施設を利用したことがなく、安全という保障がない。
「勧めておいて悪いけど、やっぱりやめたほうがいいわよー」
と言われてしまいました(汗)
もしや、
変な団体!?
でも、ここまできたらこの目で確かめるしかない。
変な覚悟と一緒に京都の山奥に向かったのを覚えています。
1999年から2000年にかけてのお正月の出来事でした。

その施設に到着すると、予想に反してビックリ!
日本人だけでなく、海外の人も居るではないですか・・・
それも一人や二人ではありません。
普通の生活をしているより、国際色豊かな環境でした。
後で知ったのですが、この施設は日本にもあるけど、同じ系列で結構広範囲に
各国にも配置されており、母国を通じて日本の施設にもやってきたという流れらしい。
そして、実際足を運ぶまで認識していなかった事。
集まった人の面から考えて、標準使用言語が「英語」でした。
こんな経験は生まれてはじめて・・・東京弁でもいっぱい・いっぱいなのにーーー(涙)
                カルチャーショック・・・
後にこの経験が人懐っこさを誘発する原因になったのでした(笑)

その国際色豊かな環境の中でもすぐに慣れることができました。
・・・だって、座禅が始まってしまえば後は沈黙の日々だもんね(^_^)v
不思議だったのは、言葉によって威圧感って出るのだなーと思えたことです。
喋らなくなると、国なんて関係ないし、相手だって何故か小さく見える。
そんな事より最も大変だったのは、自分と向き合うことでした。
最初の数日間はどうしても1時間を同じ姿勢を保つことができませんでした。
足がどうにかなってしまうかもってくらい
痛い!
最初の数日は、毎時間挫折、
(ちなみに途中で休憩はありますが、一日10時間のカリキュラムです)
でも、TVで出てくるような「渇!」とか怒られるということはこの施設ではありません。
ある程度は自己管理として任されます。
でも、怒られないからと言って、いつまでも挫折ばかりしていては何のために覚悟を決めて
ここにやってきたのかわかりません。
それに、どう見ても椅子の生活に慣れている人だって皆頑張ってるし。
そう思うと、またまた覚悟が固まりました。

自分の意思で、一時間を姿勢を保って
乗り越えてみせる!

案の定、後半でかなりな誘惑に襲われました。

でも、とうとう1時間を意思を貫くことができた時に、
理由の無い涙がとめどもなく流れました。
周りを気にせず泣きました。
何か、今まで決して超えることのなかった壁をこの瞬間に越えられた気がしたのです。
心のどこかの栓が抜けたような安らかで、心地よい安堵感に包まれました。
これがきっかけで、あまり苦に思わず、長い時間を座れるようになりました。

また、皆はどう思っているのか話し合ったことがないので、
私だけの感覚かもしれませんけど、座れば座るほど、
座禅は決して
我慢だけの世界ではないと思うようになり、
座る為だけの時間を優先して作りたくなるようになりました。


                                             
     つづく
katuraの座禅体験記その2
日常生活をしていると話すことって、とりとめのないごく当たり前の行為じゃないですか?
けれど、座禅のセンターにお世話になって思ったことは
喋ることって、本当はとても体力にも似た
エネルギーを使うものなんだな・・・ってこと
自分を消耗させている原因の一つだったりするのかもしれません。
だから、言葉を使うのって大事だなーって思いました。

昔から人の「悪口は言ってはいけない」とか「マイナス思考は良くない」とか
当たり前のように耳にするけれど、自分なりの解釈が加わりました。
どうせ消耗するなら、良い言葉を使いたいし、
気持ちよい考え方で過ごしたほうが良いに決まってるもんね。
そう思うようになってから、言葉に気をかけるようになりました。
でも、不思議なのだけど、良い言葉や気持ち良い考え方でいると、
逆に体力がつくように思えるの。

なんだか、元気になります。

気持ちの良い考え方で仕事をしていると、
周囲から見たらとても真似できないような大変な作業をしていても、
本人はそれ程苦になっていないとか・・・
事業を起こして成功されている社長さん等にもそういう傾向を見かけます。
これは、自然の摂理と言って、原因と結果の法則が働いているそうです。
日常で当たり前に思っていること程、重要な要素があるのかもしれません。
そう思うと、もっといろんなことも気付きたくなりました。
だけどね、座禅っていうのは集中して座る時間も大切なのだけど
自分をなくして、奉仕の気持ちを向けることも同じくらい大切な要素と教わります。
一言で言うと簡単ですが、実行に移すのは、なかなか大変なこと
だって、別にその道の専門家になりたいわけでもないし、普通に仕事だって持ってるもんねー
一定の期間をサラリーの貰える仕事をせず、誰かの為に早起きして、三度の食事を作ったり
環境の整備等もして、クタクタに疲れます。
その上、最後に任意の寄付・・・なんて、普通じゃ考えられない。

でも、お世話になった座禅の施設では、運営が全てボランティアで成り立っていましたので、
katuraには、そういう心持を訓練するには最適の場所でした。
そこの生活で、英語圏の人たちと協力をし合わないと仕事も上手く進みません。
だから、今まで理解できなかったことや理解しようとしなかったことに
神経を傾けなければいけなかったのですが、お陰で、文化や環境の違う人たちとも
仲良くできるコツを掴むことができました。
言葉はメインディッシュに添えられたツマみたいなものに思えるようになってくると
今度は、私生活で沈黙の時間とか沈黙の日を取り入れたくなってきます。
(↑注:katuraだけの感覚かもしれません)

そんな・こんなで、前面に優しさが出てくると、周囲に与える印象にも影響してきます。
それは人だけではなく、小さきものにも伝わるようです。
秋口などに外に出ると、トンボが植物と間違えるのか?
身体や手のひらに羽を休めにとまりにきます。
なんとも言えない豊かな気持ちになります。
残念なのは、少し空気が変わるだけで敏感に察知して離れていくので
人前ではそういうところが見せられないのだけど
でも、上記のような何ともいえない至福な感覚を伝えたくて、
katuraのパフォーマンス(例:写真の被写体とか、いろいろ・コマゴマ・・・)が始まりました。
だから、パフォーマンスとは一見、無関係に見える座禅ですが、
私にとっては密接な関りがあったりします。
                                                              つづく
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